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感情移入について思う事つらつらと

2015年07月11日 21:09

 久しぶりの更新です。

 今日読んだwebの記事に「邦画のヒーローものは2時間悩みっぱなしなことも」という一文があって何でそんな風潮が蔓延してるのかなーと考えてみたんですが、「感情移入」というものが誤解されているのが原因ではないかと思います。

 「キャラに感情移入できない」という批評ははもうほとんど定型文化されてますが、多くの人は「共感できない」という意味で使っている気がしますがそれは正しくないと思います。感情移入できるというのはこのキャラが今こういう行動をとることが理解できるということです。この二つは似ているようではっきり違います。

 例えばダークナイトのジョーカーの行動原理なんてさっぱり共感できません。ですがジョーカーならそうするよなーと理解はできます。「カエサルを知るためにはカエサルになる必要はない」という諺がありますがそういうことです。

 超人的な主人公を出したとき「感情移入できる」ようにするためにそのキャラの普通の人間っぽさを強調した演出がされる事が多いですがそれは間違いです。超人が一般人レベルの問題にいちいち躓いていては話は進みませんしヒーロー的カタルシスがどんどん削られてしまいます。スゴイ人はスゴい事を平気でやっていいのです。ヒーローを読者・視聴者の所まで下ろす必要はないのです。ただしこのキャラなら躊躇なくこうするだろうなと理解できるように物語のはじめの方にちょっとした行動や発言で提示していたり、ヒーローになる前のしたちょっとした行動とヒーローとしてのスゴイ行動を相似形にする事であくまで我々の延長なのだと思わせたりと工夫しなくてはなりません。

 共感と感情移入は違います。理解できないキャラがいたらそれは感情移入できないのではなくて、理解できるだけ工夫を作り手が怠ったため共感できない点だけがクローズアップされただけに過ぎず、決してそのキャラが普通人じゃないからではないのです。

 感情移入は「できる」「できない」と表現されるように、あくまでこっちがしに行くものであって、キャラの方から共感させに来るものではありません。作り手として傲慢なことではありますがこれは読者や視聴者に少しの努力を強いる事ではあります。ありのままで見ていてはダメです。もちろん作り手としては世界観や舞台装置などを隙なく配置し、受け手側が感情移入しに行くための道を迷わず混乱しないよう整理していなくてはなりません。

 たまに編集さんの中にもこの感情移入と共感をごっちゃにしている人がいてずーっとモヤモヤ考えていたのでこの機会に文章にしてみました。
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コメント

  1. マンスール | URL | -

    普段の会話で「分かった」と言った場合、「君の話の内容や行動、立場が合理的に理解できた」と「君のやったことを支持する、感情的に受け入れられる=共感できる」という二義が含意されているケースは多いです。知的な理解と情緒的な受容を弁別できる人は決して多数派ではないと思います。キャラの組み立ての論理的な側面(一貫した行動原理)を構築する力が弱い作品が横行すると、自然と読者も怠惰になりますね。設定項目の多さを構築力と勘違いしている人たちも多いですし。

    スーパーヒーローが些細なことで悩むのは、驚異的な力を持っていることとのコントラストがうまく生かせれば話の薬味としては十分効果的だと考えています。何でもかんでも一般人レベルに引き下ろせばいいってもんじゃない、という点は全く同感です。

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